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越後の金魚:玉サバ・サバ尾の歴史

越後の金魚:玉サバ・サバ尾の歴史

よく愛好家の皆さんに「玉サバは何時ごろから存在するのですか?」と言う質問をされます。そんな訳で私なりの聞き取り調査で情報が集まりましたのでこの辺でまとめることにしました。

玉サバについて、8・9年前、「金魚伝承第三号」(2002年12月10日発行/ピーシーズ)に掲載されました”新潟の地で生まれ育まれてきた玉サバ”という6ページにわたる記事で、都屋商店さんの宮社長さん紹介で、中村さん、廣井さん(山長さんのお父様)、金子高明・康明さんの代表的な玉サバの各生産者を紹介した記事がありました。


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この雑誌は、4年前の2007年2月ごろ私が池を掘るため、様々と道具を購入しなくてはと都屋さんに伺ったその時の会話の中で、宮社長さんに「玉サバは何時ごろからいるのですか」と質問したところ、「それが~よくわからないんだよね~私もそんなに古くからではないので~」と言われやっぱり時代が古いのかな~と思っていると!宮社長さんが玉サバ飼ってるの!?それなら、ちょうど良い本があるよと言われ、宮社長さんからの進めで玉サバの記事が載っている金魚伝承三号最後の一冊とのことで購入しました。

この「金魚伝承第三号」(2002年12月10日発行/ピーシーズ)の記事は、直接生産者本人にお話しを聞き基本的な事柄などの情報が記載されており、玉サバの歴史を把握するための情報量としては一番多く記載された正確な情報と思いましたので、まず、その記事をまとめ、私の調査した情報とすり合わせて年号と西暦表とで昭和までの歴史を私なりに記述した。



山古志





代表的な生産者と玉サバ

 中村さんは、「金魚伝承第三号」(2002年12月10日発行/ピーシーズ)から35~36前ですと、1966年昭和41年ごろから玉サバを作られ、その5・6年後の1971年には、三色を作ろうと朱文金の交配、また、コメットや流金も交配されていると記述されております。
 この記述に関係した私の情報では、印象に残った玉サバ・・・Hさんが子供であった昭和40年前後の玉サバは、上から見ると今の玉サバのように腹が大きく張り出していなく!標準的には薄っぺらだったそうです。その他、各鰭が長いタイプや体が凄く大きいタイプ、玉サバかサバ尾かわからないタイプ等、様々な玉サバがいたとお話をお聞きしました。その中でも、色が薄いオレンジ色で体がとても大きく、角が無く丸い尾鰭や各鰭の短い玉サバは印象に残ってると語っておりました。
 今現代の長岡祭りで販売されております越後の金魚(サバ尾・玉サバ)も各販売者によって様々で形が違う個性的な金魚が並んでいると思いますが、当時もそんな感じだったようです。
 その当時、どうやったら良い魚が作れるのか?鯉師達は日々ひたすら考え独自の飼育法を確立し個性的な良魚を生み出して来たと言います。
 鯉は累代繁殖をくり返し血が濃くなることで質の低下を防ぐ一つの考え方として、新しい血を入れることで改善され、新種開発の意味も含め行われていたようです。
 越後の金魚(サバ尾・玉サバ)も鯉と同じく、鯉の流通の過程で金魚も出入りがあったことなどから、どのような交配が行われていたのかはわかりませんが改良のため新しい血を入れる行いが各業者・家系・各地の生産者間であったようです。県外では九州や広島などの業者と取引が多くあったそうです。大きくするためジャンボ獅子頭などのジャンボ系の血も入っていると思われます。
 金魚は飼育法や飼育者の好みによる選別で魚が大きく変わることはもちろんですが、当時の各家々、各業者によって金魚の個性が違っていたと言われます。逆に他の血を入れない業者もあったことからも、なお個性のある家系にわかれていったとお話を聞きました。


 廣井(山長さんのお父様)さんは、玉サバを繁殖されて15年以上になるとのことで,玉サバを1987年昭和62年以前には作られていたと記述があります。また、玉サバに初めて出会ったのは幼少期で戦前のころ、神社で行われる秋祭りで玉サバを見て欲しくてたまらなかったと記述がありました。
 このことからは記事掲載当時廣井さんは(72歳)と記されておりましたので、幼少のころを12歳と仮定すると1917年昭和17年には、玉サバは存在していたと思われます。
 当時、小千谷祭りでは旦那衆が池揚げをすると5~6本の錦鯉と一緒に1~2匹の玉サバがいたと言われ当時は50cmにもなるものもいたとも記述されております。
 この記述と類似する私の情報からでは、玉サバの人気は旦那様から・・・H(5?歳)さんのお父様談から、サバ尾のような魚がほとんど中、野池で池揚げの時、その中に大きな玉のような金魚(玉サバ)がいたそうです。
 詳しくお話を聞くと、それを見た当時の古志郡上組村近辺以南、今の長岡市の宮内近辺以南、信濃川の東側の地域から、東山までの山沿い、今の長岡温泉湯本館あたりから滝谷あたりにかけての範囲に、その池を所有する大金持ちの旦那様がいらしゃったそうで、鯉も好きだが玉サバが大好きで毎年、その旦那様に納める玉サバを業者が持ち寄っていたことから玉サバの人気が出てきたそうです。
 この聞き取り情報からも当時鯉と玉サバは共に発展したことがわかり、また、お金持ちの旦那様に人気があったと思われ、この辺から丸みを帯びた玉サバが作られ徐々に庶民に広がり人気が出てきたと考えられる。
 廣井さんは都屋商店でお仕事をされていた時期があり、幼少のころから欲しかった玉サバが、働いていた時期に市場に出てきた玉サバを直ぐに買ったといわれ、その玉サバは、柏崎にお住まいの中村さん系の玉サバではなく、山古志村の誰かが出した玉サバと記述がありました。先代の廣井さん系の玉サバを受け継いだ川口の山長さんからも家の元の系統は山古志から来た玉サバとお聞きしている。
 この記述と関係性はわかりませんが?山古志村虫亀にお住まいの田中さんに質問でのお話の中で、Q:田中さんの魚はどこから来た玉サバですか?A:俺の魚は2004年の中越地震で湖に沈んだ村で今はなくなっている山古志南平楢木(ならのき)集落というところで昔からそこにいたサバ尾を持ってきて、自分で累代繁殖で選別し玉のものを残しています。
 また、同じ山間地にお住まいのAさんの玉サバ・サバ尾も山古志産で累代繁殖した金魚を野池飼育されて、第一次鯉ブーム前の昔からいたという情報などや、その他複数の証言者からも玉サバは山古志の系統が存在すると思われます。


 金子高明・康明さんは、玉サバを作り続けて23年、1979年昭和59年ごろから本格的に玉サバを作ったと記述があります。そして、長岡濁沢には60年以上前から玉サバがいると言われ、このことから1942年昭和17年には玉サバは存在していたと言えるでしょう。また、中村さん、廣井さん、の玉サバとは異なり長岡濁沢で独自で累代繁殖された玉サバであると記述されておりました。Hさんも大田川沿い近辺で小さいころ良く玉サバを見たとと言うお話しや、さらに、古くから玉サバを販売しておられる竹之高地等の高龍神社近辺の愛好家や販売業者などもいらしゃることからも長岡濁沢の系統が存在すると思われる。




玉サバ年号西暦



サバ尾は大正・明治時代?

 玉サバの元になったサバ尾について、愛好家の山古志虫亀の田中さんに質問をしました。Q:その玉サバの元になったサバ尾はご存知だと思いますが!いつごろからこの辺にいたのですか?A:俺の祖父の前!もっともっと前にいましたね。昔はサバ尾(さばご)と祖父も皆この辺では呼んでました。昔は台所に「どっこ」という清水を引き入れあまった水を流し溜めるような場所(外の除雪用の溜め池とつながっている)があり・・・そこにサバ尾が当たり前のように泳いで、ご飯茶碗のご飯のカス等をサバ尾が餌としていましたよ・・・
 この辺は昔から当たり前のようにサバ尾が泳いでいましたよ。昭和の初期はあたりまえで、大正いや明治にはこの辺にはいましたね。第二次大戦や鯉ブームが来る前はこの辺はほとんどの家庭がサバ尾を飼ってたよ。
 だから金魚の方が古いと思う・・・第二次大戦中は鯉や金魚を食料として出せという軍の命令で出して数が激減したんだけど、みんな野池にわからないように隠して飼っていたお蔭で復活したんですよ。
 ですから・・・大正のころは山古志には色鯉がいたから・・・サバ尾は、大正、明治では確実にいましたね。当時の写真などが残ってればね・・・
 近隣にお住まいのAさんのお話によると、玉サバは第一次鯉ブーム前の昔からいたと言っている、サバ尾(さばっこ)はもっと前からこの辺はいたよとお話しをされていることから。大正・明治にはサバ尾と思われる金魚はいたとということになるのでしょうか!



 以上のようなことから、玉サバは1917年昭和17年くらいの時すでに存在が確認できるので、今の私の知る限りの情報では、玉サバが作られたのは昭和初期になるのではと思う。今後新しい情報が出てくれば、さらに時代が古くなると思われ調査次第である。

 その後、昭和初期から中期へと進み、戦後復興のための祭りも盛んになり、金魚の需要も増えましたが、さらに時代が進むと、高度経済成長、富裕層が増えたことで庭池の設置、鯉ブーム!
 店先のメインはやっぱり錦鯉、爆発的な鯉ブームに押されたことで、鯉の陰に追いやられて行ったのでしょう。片手間で金魚を生産する業者、金魚をやめる業者が増えたことでさらに加速。
 昭和後期、越後の金魚は衰退の一途を歩むことになったようです。しかしながら、秘かな個人愛好家や熱心な業者の地道な努力のおかげで、「より良い金魚を作るための維持」・「より良い金魚を作るための改良」が行われ、玉サバは越後の各地に散らばりで継承されてきたのではと思う。

※上記内容の中に業者と記述してありますが古い時代では農家が錦鯉を生産しておりましたので含めて理解してください。

記載期日:2011/02/20

更新期日:2011/02/20




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*Comment

NoTitle 

つよ玉さんどうもです。
いやはや実に興味深いお話楽しく読ませてもらいました。
非常にロマンをかきたてられます。しかし、玉さば、サバ尾が他でなく中越地区で発生した理由はなんなんでしょうかね。錦鯉の発生からある程度の進化後同じ水温領域で飼うことができて魚体も小さく扱いやすい金魚も飼われるようになったのならナルホドってかんじなのですが、玉さば、サバ尾の方が古いとなるとその背景にはなにがあったんでしょうね。う~ん実に面白い(^^♪
以前琵琶湖のほとりのとある地域で、家の中に’川端(かばた)とよばれる湧水を家庭で使えるように引いてある場所がありそこで鍋や食器の汚れ、残飯などを鯉に食べさせて琵琶湖に流れないようにしている様子がテレビで紹介されていました。
新潟では金魚が選択され琵琶湖では鯉が選択されたのはなぜ?興味が尽きません。
これからも引き続きのレポート楽しみにしています。(^^)v
  • posted by ジャイアント・サバ 
  • URL 
  • 2011.02/20 22:18分 
  • [Edit]

NoTitle 

ジャイアント・サバさんこんにちは!

すみません私の説明が下手でしたね!私はなるべく田中さんが語った言葉をそのまま記述したかったので。説明不足でした。すみません。
玉サバ・サバ尾の発祥があたかも鯉より古いような感じで捉えられたのでしょうが、田中さんの言いたかったのは、錦鯉ブームの前は・・・という事を表現した言葉と理解していただけるといいと思います。つまり、「昭和30年半ばからの錦鯉ブーム前はこの辺(山古志虫亀近隣という表現)は金魚をため池や庭で飼っている方や生産者が多かったが、錦鯉ブームが高まると、金魚から鯉に移る家や業者が増え鯉の生産が増えた事を、"この辺は、玉サバ・サバ尾が鯉より古い"という表現で語った言葉」と理解してください。
 ジャイアント・サバさんもご存じでしょうが。実際のところ書物で鯉は、江戸時代1781年元明元年新潟県の山古志郷(現在の小千谷~山古志の山間一体近辺のため池にて食用のため養鯉が行われていた。)鯉存在自体は凄く古い記述です。そして、色鯉は江戸時代後期の文化文政期1804年~1830年が発祥とされています。そして、大正3年の大正博覧会にて越後の鯉が注目され、皇太子殿下(のちの昭和天皇)に献上したことで、山古志村では力をいれ宣伝を強化、錦鯉は全国の愛好家に知られるようになっと言われてます。したがって、ジャイアント・サバさんが言われた前述のような歴史が一番近いのではと私も理解しています。サバ尾は山古志虫亀近隣には明治・大正時代にはいたという情報で、サバ尾の発祥については決定的な情報がなく、推測や憶測レベルの情報しかない状態なので記述していません。つよ玉
  • posted by つよ玉 
  • URL 
  • 2011.02/21 16:38分 
  • [Edit]

NoTitle 

初めまして。レポート課題で調べていた寺の池で鯉に混じって泳ぐぽっちゃりした鯉?を見つけて検索して越後玉サバを知りました。小さなイメージの強い金魚。どうここまで大きくなったのか不思議だったのでとても興味深く読ませていただきました!ありがとうございます。
  • posted by  
  • URL 
  • 2015.07/19 21:36分 
  • [Edit]

NoTitle 

学生さんでしょうか?


私の未熟な文章で申し訳ございません

レポートの参考になって本当に嬉しく思います

頑張って下さい。



つよ玉
  • posted by つよ玉 
  • URL 
  • 2015.07/20 21:41分 
  • [Edit]

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素敵な玉サバを全国のみなさんに知っていただきたい!バランスの良い体型と精悍な顔立ち!疲れた心を癒してくれる玉サバを作ることを目的とする。

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